休職が始まり、しばらく経つと何とも言えない焦りのような感情が湧いてきますよね。
私も、休職2ヶ月目に入ったころは、気持ちに少し余裕が出てきた反面、自分自身や周囲に山積した問題をなんとかしようと、頭がカオス状態になったり、このまま復職出来なかったらどうしようとか、とにかく焦ってました。
この記事では、休職2ヶ月目 第1週での出来事をとおして、さまざまな気づきを探っていきます。
当時記録していた日記も書き起こしてますので、よろしければ参照してください。
私の体験を読んでみて、心が疲れそうになっている方、疲れてしまった方、つらい思いをされている方の心が少しでも軽くなりそうなヒントが見つかれば嬉しいです
・日記の記録を開始
・家族の支えを実感
・会社のサポート体制を確認
・実家の問題を整理
1/6(月) 日記を開始
■当時の日記を読んで感じたこと
当時の日記を読み返してみると、いろんなことを思い出します。
この頃、自身はもちろんですが、周りにもいろんな問題が山積しており、頭がカオス状態になっていました。
普段だったら正月休み明けで仕事始めなのに、ひとり取り残されたような感じがして、とても憂鬱でした(仕事だったら、それはそれで憂鬱なのですが)。
会社を休業し、この頃から周りに目を向けられる余裕が出てきたところで日記の記録を開始してます。
鬱積したものを吐き出し、少しでも楽になりたくて始めたものですが、後々の行動振り返りや俯瞰に大変役立ちました。
日記の記録を含めて、休職中にやって良かったなと思う事をまとめた記事をつくってありますので、こちらも是非参照してみてください。
14:00~14:30 自宅にて記録
本日からメンタルノート(日記)記載開始
内容はフリー、主観/客観問わず思いつくまま
基本的に毎日記載(土日祝除く)
12月半ば頃から早朝ウォーキング開始
気分良かったが今日は気分晴れなかった
歩き出してしまえばイヤなことが多少あっても紛れていたものが今日は終始凹み気味
正月、クリスマスと年末楽しい行事があったが、本日から一般人は仕事始めのハズ
一人だけ取り残されたような焦燥感あり
また、あとひと月半で復帰できるのかという不安感もあり、朝食後も憂鬱な状態が続く…
毎年、正月休み明けは憂鬱になるものであり
以前からそうだったので、2・3日すれば回復すると思う
9日に保健師に連絡しなければならない
復帰プログラムが先日郵送されているが
まだ開封していない
農園に行ってラディッシュ収穫するか
打ちっぱなしにいくか
1/7(火) 妻への感謝
■当時の日記を読んで感じたこと
自分がこのような病気になり、改めて大事な事に気づいた気がします。
この頃の妻の支えがなかったらどうなっていたことか…本当に感謝してます。
妻にしてみれば、初めて経験する「配偶者の病気による休職」というレアで非常に重い状況のなか、かなりストレスを抱えている状態のようでした。
当時、妻自身も体の不調があるにもかかわらず、私を支えるべく、じっと耐え忍んでいるような状況だったのでしょう。
症状の改善や復職への活動は、主治医、カウンセラー、産業医、保健師etc. 周りの人々の支えがあってこそのハナシですが、その中でも、家族の理解や支えというものがとても重要だと思います。
今思い返しても、自分だけではどうにもならなかっただろうなと痛感してます。
9:15~9:40 自宅にて記録
朝ウォーキング中に思いついた事を書こうと思ったのだが、思い出せない
妻への感謝について
いつも気を遣ってくれている
俺のやることや言動について、否定せず慮ってくれている
ただ時々悲しげな表情を見せるときあり
不満とか言いたいこととかあるのではないだろうか
昨夕、一緒にウォーキングした
朝から凹み気味だったが、持ち直した気がする
妻が喜んでいれば俺も嬉しいし、機嫌が良ければ俺も…
俺がしてやれることはないか?
家事は手伝って欲しくないだろうし
仕事復帰するのが一番なのだろうが、今はまだ叶わない
1/8(水) 生活記録表を記載開始
■当時の日記を読んで感じたこと
休職中、会社とのやりとりについては、全て担当の保健師経由でした。
あらかじめ決められた日時に保健師から電話が来て、どのように過ごしたのか近況を詳細に報告する事になっていました。
休職1ヶ月目のこの時期は、まだ心に余裕がなく、考えるのがとてもしんどくて、保健師から矢継ぎ早に質問されるのが結構辛かったです。
その旨を正直に伝えて改善してもらいましたが、今考えても保健師の仕事は大変だな、割に合わないなと同情してしまいます。
10:30~11:40 自宅にて記録
昨年末に保健師から送付されていた復帰プログラムの概要を見た
復帰までのあらましについて記述あり、ざっと確認
上長との面談が少々鬱陶しい
生活記録表が同封されていた
封書が届いた日から記述してくれとのこと
今年1月1日からを記載することにした
朝はウォーキングのため、毎朝5:30には起床できている
就寝を規則正しくするべきか?
現状は22:30前後
書き物してると肩が凝る
しばらく書くことから遠ざかっていたせいもあるが、少々疲れた
正月明けから続いていた凹み、改善してきた
1/9(木) 実家の母、長兄、次兄
■当時の日記を読んで感じたこと
実家で暮らす母について。
実家で父と2人暮らしで、この日記の前年夏くらいから、うつに似た言動が見受けられるようになりました。
近所のかかりつけ医で診察を受けていましたが、この時点ではまだはっきりとした診断がついておらず…。
家族で話し合った結果、認知症の専門医に検査入院してみようということになりました。
検査の結果、のちに軽度の認知症と判明します。
長兄は、高齢の両親がまだ動けるうちに特老施設に入居してもらおうと手を尽くすも、両親に聴き入れてもらえず悶々としている状況でした。
実家でのこのような状況も、私自身のうつ症状にとって悪い影響を与えていたことは確かだと思います。
9:30~9:45 自宅にて記録
昨夜、長兄と実家の話しをした
市営住宅への移転や同居の件など
いろいろ手を尽くしている模様だが
親父が優柔不断で反故にされているとの事
相当苦労している様子
お袋の認知症により、家庭内のフィクサーが居なくなった場合
親父はかなり辛くなると思う
どのように力になれば良いか?
午後、次兄とも電話で会話
お袋の検査入院と親父の動向について相談
今度の帰省時での病院への見舞いなど
本日、保健師と電話面談予定
1/10(金) 実家の父
■当時の日記を読んで感じたこと
母の認知症、父の不調、兄の不満など実家周りがあまり良いとはいえない状況で、自分なりに出来ることはないか、手探りしていた時期だと思います。
実家の父は、この頃、脚・背中の痛みに悩まされていました。
本人はなぜか癌だと思い込んでおり、母や兄家族の勧めを聴かずに病院に行こうとしませんでした。
この事が母のストレスとなっており、認知症の一要因として挙げられていました。
ちなみに、父の正式病名ですが、のちの検査の結果、がんではなく脊柱管狭窄症の診断がつきました。
母の認知症と同じく、この状況についても、私自身のうつ症状にとって悪い影響を与えていた要因の一つであったことは確かだと思います。
9:20~8:35 自宅にて記録
昨夜、親父と電話で会話した
帰省について気遣う様子あり
余計な気を回さないようお願いした
お袋とも会話したが、思ったよりしっかり受け答えしていた
ただ記憶を手繰るような質問をすると詰まってしまう事あり
薬を処方されているらしいが
正しい診断を受けているのか心配
兄達も同じ懸念から、〇〇病院(認知症の専門病院)での検査入院になったものと思われる
お袋には気楽に行くよう伝えた
昨日の保健師との電話面談で近況説明
以前の質問調が無くなり気楽に話せた
次回は1/27(月)
そろそろ復帰について考えなければならないか?
正直なところ、まだ少し怖い
漠然とだが…
復帰のイメージがまだつかめない
まとめ(2ヶ月目 第1週)
いかがだったでしょうか。
参考になった部分があれば幸いです
この記事では、休職2ヶ月目 第1週での出来事について、日記を通して俯瞰し、さまざまな気づきを探ってみました。
・1/ 6(月) 日記を開始
・1/ 7(火) 妻への感謝
・1/ 8(水) 生活記録表を記載開始
・1/ 9(木) 実家の母、長兄、次兄
・1/10(金) 実家の父
休養2ヶ月目に入り、少しだけ考える余裕が出てきたところで、抱えていた問題を何とか払拭しようともがき始めていた時期でした。
生来の性格なので否定はしませんが、当時の自分に向けて「焦ることはない。いろいろやらなくていいからゆっくり休んで欲しい」と言いたいです。
次回、2ヶ月目 第2週の記事も参照してみてください。